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ダグ・ハーヴェイ (審判員) : ウィキペディア日本語版
ダグ・ハーヴェイ (審判員)

ダグ・ハーヴェイ(Harold Douglas Harvey、1930年3月13日 - )は、アメリカメジャーリーグの元審判員カリフォルニア州サウスゲート生まれ。1960年~1980年代を中心に31年間メジャーリーグ審判を勤めた。2009年にアメリカ野球殿堂入りの審判員に選出された。
==経歴・人物==
ハーヴェイは、16歳で地元高校のバスケットボールの審判を始め、後に野球やソフトボールの審判もするようになっていた。1955年から2年間サンディエゴ州立大学に通い、野球やフットボールのプレイヤーと並行して、マイナーリーグ審判員も行っていた。1958年から3年間のカリフォルニア・リーグでの経歴ののち、1961年にパシフィック・コーストリーグに昇格、翌1962年にメジャーリーグに昇格した。メジャーリーグ昇格の際、後に殿堂入りとなるアル・バーリックジョッコ・コンラン、シャグ・クロフォードらのアドバイスは、ハーヴェイに大きな影響を与えた。バーリックはルールの理解を促し、コンランは審判職に楽しみを見出すことを助け、クロフォードからは審判職の哲学を教わったそうである。ちなみに彼は、審判学校に通うこと無くメジャーリーグの審判員になった最後の審判である。
30代で既にハーヴェイは髪の毛のほとんどが銀髪で、「シルバー」というニックネームがつくほど特徴的な面持ちだったのだが、1971年シーズンにはカイゼル髭まで蓄えて登場したことがある。現役当時は多くの選手の尊敬を集めていたそうだが、ハーヴェイ自身は審判職について「何年も人々は、審判の仕事を郵便配達をやっているように見てきたと思うが、審判員とは『必要悪』なのさ。猛獣の気性と同じだ」と公言していた。
ハーヴェイは65歳まで現役を続けるつもりだったそうだが、膝の故障のため1992年、62歳で退職した。出場試合数は引退当時歴代3位の記録だった。現役時代から長く噛み煙草を使っていたが、引退後の1997年に口腔癌を発症し、それ以降は噛み煙草の危険性を訴える活動をするようになった。21世紀になって、2003年と2007年にアメリカ野球殿堂の殿堂入り選考の候補となったが、いずれの年もわずかに得票が足りず選出はされなかった。その後2009年12月の投票で殿堂入りが決定した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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